召されるということ
気の毒すぎて辛いのだが、というか、こちらもウェブの向こうから勝手にブログを読み続けて知っているだけの関係にすぎないのだが、何しろ日ごろ他人様に死ねとか平気で言い放っておいて本当に死なれるとショックを受ける人間で我ながら寒いのだが、この深い愛情を受けて逝ったしなもん氏は残念です。お悔やみ申し上げます。
さようなら。ありがとう。
http://cinnamon.hatenablog.com/entry/2013/06/22/195805
なんでしょう、この私がお悔やみの言葉を述べたところでどうにもならない感じのネット上の空気は。でもペットを飼う者の常として、往々にして愛する犬や猫は飼い主たる私の愛情の如何に関わらず先に逝ってしまう。そして、それを覚悟して暮らしているわけですよ。拙宅のにゃんこ(さくらさんとわさびさん)も6歳になりました。いまは元気だけど、あと何年撫でさせてくれるだろうと思いながら、いま愛情を注いでいるわけです。
そして、終わりは来る。子供のころ、やはり愛した飼い猫とのお別れを経験しました。一人っ子で育ったので、随分いろんな動物を親にせがんで飼わせてもらったわけですけど。まあ、心に穴が開きますわ。そんで、塞ぐのには時間と理屈が必要です。肉親を見送るのとは道理が違う何か。違う世界にいったのだ、また未来に会えるから、そういうしっくり来ない納得のさせ方を自己に強いることになるのです。
最後に出てくるのは、一緒にいてくれたことに対する感謝。あー、駄目だ柄にもなく湿っぽくなるのでこれでおしまい。みんなに見送られて、良かったね。
« 【告知】7月8日(月)、阿佐ヶ谷ロフトAでイベントをやります! …が | Main | 物議を醸した岩手県議が炎上死 »