40歳になりたくない件について
幸福な若者論と、無理ゲーな就職論がクロスオーバーする昨今、社会における若者の位置づけが実にむつかしくなってきており、ネタとしての「若者の○○離れ」による各クラスターの高齢化が中高年以上の不安の原因になっているように思えるわけです。
新春暴論 ――「幸福」な若者を見限ろう 山口浩
http://synodos.livedoor.biz/archives/1877537.html
『絶望の国の幸福な若者たち』は良書でした。もっとも、私の社会学方面の文献を読む力が不足していて、何もそういう回りくどい説明をしなくてもいいのにと思っていたら、そういう方面の人が「読みやすい」と絶賛していたので、改めて私の読解力の足りなさを実感したわけですけれども。
若者論が、往々にしてそれを語る年配者の自己の不安の投影であるというのは当然であるとして(当たり前だろ)、やっぱり何者でもない自己が若者を語るときの空しさ、怖さというのはやはりつきまといます。何を言っても「お前が言うな」とか「なら若いころにそうやっておけば良かっただろ」とか思われるだろうと予測がつくからです。
最近ではコンテンツ業界も全年齢にウケるものとコア層、若年層向けにウケるものとに大別する傾向が強くなり、シリーズものでは如何に若い人に対してアトラクティブにして「視聴者と一緒に年をとらないシリーズにするか」に心を砕くことが多くなりました。若い人に迎合しながら、昔からファンの人を捨てたくないという二正面作戦を申し渡され、戦死するクリエイターのことを思うと胸が痛みます。
一方で、若者が感じるだろう閉塞感、無力感、何をしたって現状を変えられないのであれば、いまをしっかり楽しもうというような心の動きになってしまう責任は確実に年配者にあります。それでも日本が恵まれているのはまだまだ蓄えがあるのと他国に比べて相対的に貧富の格差がまだそれほどでもないからで、でもそれだって貧しい人からすれば何の慰めにもならないのでしょう。
山口さんの論じる「絶望の国の不幸な40代」と「幸福な20代」に挟まれた30代としては、まことに居心地が悪いというか、まあほっといても40代になってしまうので悩んでもしょうがないのだが、私たちの世代が相応に踏ん張らなければもっと悪い30代をいまの20代には背負わせることになってしまう。実質的に社会を回しているのは30代後半から50代に差し掛かるぐらいの働き盛りの人々だとすると、本当は黄金時代を自分の中に築かなければならないことに気づくわけなんですけどね。
そう考えると、40代になったとき、どういう面構えで20代を捉えてやればお互い良いのか良く分からない。上の世代の文句を言うには老け過ぎ、若い世代に同情を寄せるには距離が遠すぎるのです。それが社会であり知識社会の宿命なんだよといわれるとそれまでなんですが、何か切実なんですよねえ。
30代最後の一年をどうするかとか、普段考えないようなことにまで頭が向いてしまうのであります。いやはや。




