東日本大震災の気分的総括について
まだ初動対応は終わっていない、という気持ちもあるけど、11日に震災が起きて一応は約三週間経過したというのもあって、個人的に考えていることの総括の項目出しでもしようと思います。ありがたいことに月刊誌からも寄稿のご依頼を頂戴していたのですが、この手の話題を披露して原稿料を貰うようなのは流儀じゃないのと、いますぐ書いてアップしてしまうことで一刻も早く自分の気持ちに整理をつけたいというのがありまして、ブログで書くことにしました。
最初に書いてしまいますが、理性では「大丈夫だろう」と思っていても、いまだにとても不安です。それも、誰かと分かち合えるような不安ではなく、また、自分の生命に対する不安ではなくてですね。
もし同じような災害に遭って、愛する家内や私の息子たちが冷たい波の下に沈んでしまったら私の人生のその後何を糧に暮らしていくのかとかいう、意味はないけど拭い去れない「たられば」の不安と、私たちが営々と築き上げてきた我が国の社会における信頼や価値というものが震災復興の困難な長期化によって崩れ去ってしまうのではないかという不安、また、戦後と同じように復興していけばいいじゃないかという楽観論の裏側にある若者が少なくなっていていまの社会に復興させられるだけの活力が残っているのだろうか、私たちは次の世代にきちんとした社会を引き継ぐことができるのだろうか、という不安、などなど、結構複合的なものが来ているのです。