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2010.08.03

罪山罰太郎氏の「児童虐待を減らす為に」議論を、保守主義的観点から否定する

 もともとはちきりん女史の釣りエントリーだったのが、何故か罪山罰太郎氏に遊爆しており、とても微妙だったので、ちょっとした反論など。

児童虐待を減らす為に
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100802/p1

 罪山氏指摘の対応バイアス(attribution error)については、それが成立する基本的条件や平行条件が明確じゃないので、政策論争としては片手落ちだろうと私は思うのだが、以下分かりやすく書こうと努力する。

 いきなり「1. 混ぜるな危険! 個人(ミクロ)と社会(マクロ)」から「2. 虐待を誘発するもの」へ至るところで議論の誘導があるんですけれども、

[引用]「頼るもののないシングルマザーが、経済的にも追い詰められて虐待を引き起こしてしまう」

といった感じの主張がなされています。

俺が知る限り、多くの統計データがこの主張を裏付けています。

[引用]虐待家庭の状況で最も多いのは「経済的困難」。また「ひとり親世帯」でも虐待の発生率が有意に高くなっています。

ついでにいえば、シングルマザー世帯の年収は平均で214万円。日本では「ひとり親」と「経済的困難」はセットになりやすく、国際比較でも、ひとり親世帯の貧困率が主要先進国の中でトップだったりするのです。

 これは当たり前の話で、統計データで言うならば:

虐待家庭の状況(Alignment)で最も多いのは「経済的困難」とのことで、

 同様に:

原チャリ事故の加害者の状況で最も多いのは「経済的困難者」であり、

傷害事件の加害者の状況で最も多いのは「経済的困難者」であり、

自転車盗難や万引きなど軽犯罪・窃盗犯の犯行理由で最も多いのは「経済的困難者」であり、

要は、反社会的・犯罪的要件を引き起こした人物の状況で必ず関与するのは「経済的困難」なんです。

 犯罪を犯すのは、概ねヤケを起こしてたり、八つ当たりしたい人なのであって、社会的地位が高く所得がある人は軽犯罪を犯しにくいという極当然の帰結となります。

 一人親が虐待する理由が経済的困難だ、だから一人親の虐待を減らすために経済的困難を国家や社会は解消するべき、という議論をするのであれば、同様の状況で発生している犯罪との「発生率や重篤度の見比べ」が必要になってきます。

 当然のように盗難を減らすために貧困を減らせとか、万引きを撲滅するために生活保護を与えろとか(どちらも加害者状況別にダントツ1位、ちなみに2位は飲酒)、政策論争的には「体調の悪い患者にはビタミンCを与えておくべき」というような、まあそりゃそうだし否定もしづらいけど意味は見出しにくかろうという話になるわけです。

 「3. バカを甘やかすとつけあがる?」でも対応バイアスの話は出てきますが、これ、こ申し訳ないんだけど、の問題を広く語るときには対応バイアスは関係ないでしょう。どんな犯罪者だって、犯罪にいたるまでの状況や経過、心理というものはあり、情状酌量の余地があっても犯罪を犯したからには犯罪者であり、犯罪を犯さなくて済む心理的状況を社会的に作り上げるべきと言われても、「じゃあどうすればいいんだよ」という話になります。で、結果が上記の「貧困をなくそう」というのは議論として極めて低質で、釣り要素満載だと思います。一番防犯に役立つのは地域パトロール(警邏)だった、というオチでありまして。

 大枠の貧困への対策は生活保護など政策的枠組みを用意するにしても、児童虐待などピンポイントの問題については、飲酒運転への徹底取締り同様に(もしどうしてもそのような虐待を減らさねばならない、という社会的コンセンサスができるならば、の条件付で)厚生労働省や警察庁の立ち入り権限を強化する方向で解決するほうがコスト的にも件数・事案的にも望ましいと考えます。

 「4. 出会い系のシングルマザーたち」以降も、犯罪者の心理についてのお話が続いておりますが、これこそがミクロの話であって、マクロとしての経済的貧困の解決を主張するのと筋違いだと思います。繰り返しますが、窃盗も軽犯罪も一般人による暴力も少年の非行(学校内暴力)も児童虐待も、統計上は有意に貧困問題を含んでいます。

 「5. ところで本当に金だけの問題なの?」については、今回の亡くなった2児の母に関しては報道されているとおり「父親などから生活扶助の申し出があった」等の要件もあり、また、置き去りにして転々とした先が友人宅であったということから考えても、本件事例に限って言うならば的外れと言えます。

 「6. ディストピア」については、根拠がはっきりしないので何とも。罪山氏の考えすぎじゃないかと思うんですが、何か具体的なデータがあるんであれば参考値としても見てみたい気がします。
 で、「7. 児童虐待って増えてるの?」については、世帯割で見ると横ばいだと思うんですけれども、ご説の通り介入事案が増えているため社会的な注目を浴びており、結果として虐待報道に触れる機会が増えて、なんとなく増大している印象がもたれている、という状況ではないかと考えられます。

 具体的事案については、表層的には厚生労働省や警察庁など所轄の役割を拡大し、一方で社会的には子育ての孤立を防ぐために家庭に産み手が回帰するというようなコンセンサスが取れればまずは対応としては上出来なんじゃないかと思うんですが。個人的には、核家族問題の一種だとも思っているので、祖父祖母も含めた大家族と核家族の中間のような形態がうまくつくれるといいなと。


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Comments

罪山氏が出してきた虐待の実態に関するソースの中に、生活保護を受けながら虐待していた家庭が1割以上存在するデータがある件。
あと、虐待していた家庭で片親だけって50%を切っているデータもソース元にある。都合の良いデータだけを切り貼りしてもってくる奴も品性を疑うw

罪山のサイトを久しぶりに見たが。
あれは希少な犯罪事例に対応バイアス持ち出す一番よろしくないケースに思った。

児童虐待にしても、シングルマザーにしても、女性の産後の精神異常について理解が必要だと思います。
このような事例は、多くの場合、産後1-2年に行われており、産後の非定型精神病が関与しているのではと思います。

>女性の産後の精神異常について理解

つまり赤ん坊が生まれたらすぐに親と引き離してキブツで育てるべきである、ということですね。

>女性の産後の精神異常について理解

つまり赤ん坊が生まれたらすぐに親と引き離してキブツで育てるべきである、ということですね。

間違いではないでしょうか? "報道されているとおり「父親などから生活扶助の申し出があった」等の要件もあり"

単純に、法律がなさすぎが原因。とある国だと、夫婦の話し合いをしていて、夫が机をバンとたたくだけで、逮捕されるらしい。これって、ちゃんと法律があるわけでさ。

育児放棄の問題ではなくて、これは、単に、子供が置き去りにして仕事にいったら、子供が寝ていても逮捕ってことで、これを繰り返したら、親権をとりあげて別の人に譲渡する手続きをすればいいだけ。

経済の貧困とは関係ない。戦時中も戦前も、貧困家庭の状況はいまよりひどかったのだから。ほんと歴史を知らなすぎだと思うよ。


よくわからんけど、言葉だけ一人あるきさせている人は、言葉に裏切られるだけだと思うよね。何を見て書いているんだよ。見もしないものを書くからおかしくなるんだよ。

単純に、法律がなさすぎが原因。とある国だと、夫婦の話し合いをしていて、夫が机をバンとたたくだけで、逮捕されるらしい。これって、ちゃんと法律があるわけでさ。

育児放棄の問題ではなくて、これは、単に、子供が置き去りにして仕事にいったら、子供が寝ていても逮捕ってことで、これを繰り返したら、親権をとりあげて別の人に譲渡する手続きをすればいいだけ。

経済の貧困とは関係ない。戦時中も戦前も、貧困家庭の状況はいまよりひどかったのだから。ほんと歴史を知らなすぎだと思うよ。


よくわからんけど、言葉だけ一人あるきさせている人は、言葉に裏切られるだけだと思うよね。何を見て書いているんだよ。見もしないものを書くからおかしくなるんだよ。

この件に関しては、おおむね隊長に賛成かな。保守主義的であるかどうかは別にして。
まず、この様な事件に関しては、最優先で守らねばならないのは被害者である子供であり、特に幼児くらいまでの年齢だと外に助けを求める事も知らないので、何かおかしな点があれば、児童相談所と警察が子供の状態を目視確認出来る強制権は持たせるべきだと思う。その為に裁判所に通常の刑事捜査とは違う形での家宅捜査令状を出させるとかね。
大枠の貧困については、生活保護の他、国家的(ある意味世界的)課題として、より高付加価値な労働を出来る、またその能力を活かす環境をどう実現していくかというはあるけどね。
少なくとも、数年前まで頻発した生活保護の窓口での追い返しやそれに伴う餓死者などの悲惨な事例は最近は少なくなったように感じてる。
自分の地元では、半年に3人くらい餓死者が出たことがあって大騒ぎになったけど。
まだ、小さな自治体が大きな自治体に交通費付きで生活保護申請者を送り込む事例は多いみたいだし、貧困ビジネスという問題もあるけど、これは別途法的処置や運用でなんとかすべきだろう。

以前のエントリーにもあったけど、ブラック企業の問題にしても、労働基準監督署を監督官を増やすなりして、まずは犯罪をやりゃあそれなりに処罰を受ける可能性が高いという状況を作り出すのが最優先だと思うけどね。現状だと正直者が馬鹿を見る状態だし。
今のご時世、公務員をそうそう増やせないというのなら、駐車違反の委託取締員みたいな感じで外部委託も出来ないわけではないだろう。増えすぎてる新人弁護士の委託ジョブとしても良いかも知れない。

>あれは希少な犯罪事例に対応バイアス持ち出す一番よろしくないケースに思った。

うわあ、それだ。ズバリそんな感じがした。
 
ちきりんさんの指摘もそうなのだが、「弱者を救おう」というのが基本的な思想としてあるような気がするのだなあ。前のエントリコメントでもあったけど、弱者はもう死ぬしかないのではないのかな。
 
だから、強くなるしかないと思うんだが、その見込みが無い人間は積極的に死んでもらうのが効率的だと思うんだよなー

>単に、子供が置き去りにして仕事にいったら、子供が寝ていても逮捕ってことで、これを繰り返したら、親権をとりあげて別の人に譲渡する手続きをすればいいだけ。

それも含めて"厚生労働省や警察庁の立ち入り権限を強化する方向で解決するほうがコスト的にも件数・事案的にも望ましい。"ということでしょう。

>戦時中も戦前も、貧困家庭の状況はいまよりひどかったのだから。

"核家族問題の一種だとも思っているので、祖父祖母も含めた大家族と核家族の中間のような形態がうまくつくれるといい"ということでしょう。

rabiさん>
弱者は死ねばいいってそれは、人間としてどうかと思いますが。
隊長の主張も、弱者を救う仕組みは不完全ながらあるので、それをちゃんと使えば良いのであって、その不完全さは、この事件とは直接関係ないという主張でしょ。
弱者が死ねばいいのなら、この事件の被害者は弱者of弱者なので、死んで当然という話になりますが。それでは、そもそも法治国家という仕組みはいらないという事ですよ。
私は強者ではないし、あなたは強いのかもしれませんが、人間である限り、老化や病気で弱くなる時が絶対にやってきますよ。その時はどうしますか?

基本的な部分には完全に賛成です。

ただ、罪山氏の言う、
「1. 混ぜるな危険! 個人(ミクロ)と社会(マクロ)」は、
あまり理解されていませんが、
非常に正しい議論です。

そして、切込隊長さんは
このことに注意を払っていないために、
ちょっとずれた議論になってしまっているのではないかと感じました。
このあたりに注目して議論を整理させていただきましたので、
時間があるときにお読みいただけると幸いです。

個人の問題と社会の問題―幼児虐待死の議論を通して
http://informatics.cocolog-nifty.com/news/2010/08/post-2116.html

>老化や病気で弱くなる時が絶対にやってきますよ。その時はどうしますか?
 
資産が無ければ死にますね。
それだけの事です。

今回の事例で提示されるべき問題は
「金があっても堕落してしまう片親のネグレクトを社会的にどうやって防ぐか」
であって、ちきりんの問題設定がそもそも間違ってるのでしょうね。
適切な問題設定をしない限り理想的な合意形成は生まれない、という教訓になるかと思います。

>弱者は死ねばいい

ってちょっと過激すぎるのもあるけど、
でも、「弱者救済」ってのは
『皆が一生懸命努力する。…だけど、努力してもハンデを持つ人やこぼれる人が出てきてしまうので、その人らは保険として皆が少しずつ負担できる範囲で保護する』
って前提があると思います。

んで、例の犯人を見る限り、とても一生懸命努力したとは言えないと思います。

つまり、そんな人間保護する必要はない。
極端に言えば、見捨てりゃいいと思います。

んだけど、子供には罪はなく、やっぱり可哀そうなので、
隊長の言うとおり強制立ち入りする権限とかを設けたらいいんじゃないの?って話になると思います。

あんな犯人みたいな我慢も努力も怠る人間は、
たとえ弱者でも救う必要はないと思います。

あと、「弱者を救おう」と言う人がいるなら
合わせて「それだけの負担を負います」とも言わないといけないと思う。

無責任に、思考停止状態で、その時の感情論だけで「弱者を救おう」って言う人が多すぎる気がする。
じゃ、あなたが救うの?って疑問がわくけど
「いいや、俺じゃなく国が」とかゆう論調だもんね。

そんな意見を見るたびにため息が出ますね。。。

> 今回の事例で提示されるべき問題は
> 「金があっても堕落してしまう片親のネグレクトを社会的にどうやって防ぐか」
> であって、ちきりんの問題設定がそもそも間違ってるのでしょうね。
> 適切な問題設定をしない限り理想的な合意形成は生まれない、という教訓になるかと思います。

自分もまさにそのとおりだと思います。
ちきりんのあんないい加減な記事に釣られただけなんですね、、、トホホ。

> 今回の事例で提示されるべき問題は
> 「金があっても堕落してしまう片親のネグレクトを社会的にどうやって防ぐか」
> であって、ちきりんの問題設定がそもそも間違ってるのでしょうね。
> 適切な問題設定をしない限り理想的な合意形成は生まれない、という教訓になるかと思います。

自分もまさにそのとおりだと思います。
ちきりんのあんないい加減な記事に釣られただけなんですね、、、トホホ。

「政策論争」であれば、担当セクションの機能強化は、個別案件への現場対応策であって、「児童虐待」への政治的対策にはなっていませんよ。
「社会的コンセンサス」を具現化するための政治主導の対策がいわゆる「政策」なのでは?

議論はおおいに結構ですが、建設的でなければ無意味でしょう。これでは反論じゃなく正誤指摘と感想です。

>弱者は死ねばいい
戦争を代表例としても、何かを排除する、またはした後の全体コストは尋常じゃないですよ。
誰が払うの?

「政策論争」であれば、担当セクションの機能強化は、個別案件への現場対応策であって、「児童虐待」への政治的対策にはなっていませんよ。
「社会的コンセンサス」を具現化するための政治主導の対策がいわゆる「政策」なのでは?

議論はおおいに結構ですが、建設的でなければ無意味でしょう。これでは反論じゃなく正誤指摘と感想です。

>弱者は死ねばいい
戦争を代表例としても、何かを排除する、またはした後の全体コストは尋常じゃないですよ。
誰が払うの?

相関関係がある事案において因果関係があるかの見極めは難しいということ、因果関係が存在する事案においても優先順位の高い対策が必ずしも原因をつぶすこととは限らないこと、の2点がポイントなんでしょうかね。

政策審でそんなこと言う民間委員がきたら、次からは呼ばないレベルの妄言↓ 担当セクション強化をどこまでやるかが包括的な問題対処の初動だってのに

>「政策論争」であれば、担当セクションの機能強化は、個別案件への現場対応策であって、「児童虐待」への政治的対策にはなっていませんよ。
>「社会的コンセンサス」を具現化するための政治主導の対策がいわゆる「政策」なのでは?

核家族問題の一類型というのはそのとおりだと思う。育児をしていて核家族がいかに不自然か実感する。本来の人類の育児行動は血縁者がとなり合わせでいる環境(群れとしての村)で行われるものだったはず。それが孤独な都会の核家族あるいは母子家庭だったら、それは大変。

ついでに言うと、当然ながら育児はヒトの本能的行動だと思う。それを一連の育児行動について法規制ってどこまで有効だ?それに、ひょっとしたら育児放棄自体が自然で本能的な行動の可能性がある。(肯定している訳ではない。その場合対策はよりやっかいだろうという事) 少なくとも人間以外の生き物では育児放棄は普通に見られる。

育児に関してはムラ社会も悪くなかったんだろうな、と。

>>弱者は死ねばいい
>戦争を代表例としても、何かを排除する、またはした後の全体コストは尋常じゃないですよ。
>誰が払うの?
 
ごめんなさい。意味分からないです。上段もわからないけど・・・
 
たとえば、一人暮らししている孤独な老人や働けない障害者が全滅しました。で、っていう。何か問題ありますか?

aki氏

>何かおかしな点があれば、児童相談所と警察が子供の状態を目視確認出来る強制権は持たせるべきだと思う。その為に裁判所に通常の刑事捜査とは違う形での家宅捜査令状を出させるとかね。

現状でも出来ます。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H12/H12HO082.html
(臨検、捜索等)
第九条の三 地方裁判所、家庭裁判所又は簡易裁判所の裁判官があらかじめ発する許可状により、当該児童の住所若しくは居所に臨検させ、又は当該児童を捜索させることができる

ちきりん女史のエントリでもコメントしましたが、児童相談所が3月に訪問した時点で、臨検まで踏み切っていたら保護できた可能性が高かったでしょう。

地域の相談事やトラブルに関しては、民生委員がいます。緊急性高いものをお上に届けるという役割なんですが、この人達ボランティアで権限は持ってないけど、責任が公務員なみと絶滅寸前になっております。地方だとかろうじで機能してるけど、都市部だと全く機能していない泣ける状態です。

激動の昭和、日本の人口が劇的に増えた割りに犯罪率が少なかったのは、地域と行政の橋渡し役としてボランティアで地域を支えていた人達の犠牲も少なからず影響があったのかもしれません。

地域の相談事やトラブルに関しては、民生委員がいます。緊急性高いものをお上に届けるという役割なんですが、この人達ボランティアで権限は持ってないけど、責任が公務員なみと絶滅寸前になっております。地方だとかろうじで機能してるけど、都市部だと全く機能していない泣ける状態です。

激動の昭和、日本の人口が劇的に増えた割りに犯罪率が少なかったのは、地域と行政の橋渡し役としてボランティアで地域を支えていた人達の犠牲も少なからず影響があったのかもしれません。

要するに、

>『皆が一生懸命努力する。…だけど、努力してもハンデを持つ人やこぼれる人が出てきてしまうので、その人らは保険として皆が少しずつ負担できる範囲で保護する』

…なんだと思うなぁ。

 ただ、人間は、出来る限り楽をしようとする(それ自体は悪くない)ので、社会全体が赤字にならないように、努力が足りない人には「あんたは努力が足りない」というシグナルを送ってやらないといけないし、それは「人より貧しい生活」をもって充当するのが適切だと思う。

 それにしても、社会を支えるコストを成功者が多めに負担するのは当然として、「金持っているやつを引きずり降ろせ」≒「成功者は敵」→成功してはならない、っていう図式が広まるのはものすごく危険な気がする。

 「普通の人」が成功できることはほぼ無くなるだろうし、能力があるだろう成功者が、社会とは敵対的になってしまう可能性が飛躍的に上がるだろうし……

児童虐待の防止に関する法律における臨検は、事実確認の訪問や保護者の出頭要請を行い、保護者が出てこなければ再出頭の要請を行うなどの措置を取ることになっています。これらの手順を踏んで後に、まだ駄目なら、保護者・児童の氏名住所を明記して裁判所に許可を要請して、やっと行えるものであり、今回のような保護者不明、児童不明、緊急を要する時代にとても対応できるものではありません。

KAZ氏

保護者が誰なのかは大家から借主の風俗店を割り出して、当たれば分かる話です。
3月の訪問自体も、誰も出なかったから帰ってきたと言う消極的な理由で、もっとやりようがあったはず。

3月の時点で、この案件に辿り着いているのですから、子供達が死亡するまでに、十分手順を踏む時間はあったのです。

そもそも1歳と3歳の幼児を部屋に閉じ込めて1ヶ月も放置することが我々の理解や想像を絶した異常な行為だ。しかもそれをやったのが生みの母親なのだ。以前から児童虐待や育児放棄が悲惨なものだとは知っているつもりでいたが、今回の事件で現実の児童虐待が想像を超えて遥かに深刻で残虐であることを思い知らされた。

そして、虐待されている子供を救うことができるのは周囲の大人達しかいないことを今回の事件ではっきりと思い知らされた。周囲の大人達が救ってやらなければ、誰も子供たちを救う者はいないのだ。虐待する親には、虐待を覆い隠して周囲にバレないように隠そうとする者もいるだろう。周囲の大人たちが気付かなければ、虐待される子供たちは地獄の中でもがき苦しみ続ける。周囲の大人達がほかの誰かが子供たちを救うだろうと自分は目をつぶったり、他人の子供のことなど自分の知ったことではないと知らんぷりをしたら、虐待される子供を救う者はこの世界に誰もいないことになるのだ。子供たちを救うことができるのは、その子供たちの身近にいる大人達なのだ。児童虐待だけは周囲の大人が見て見ぬふりをして知らんぷりを決め込んでしまったら、その子供は虐待で大きく傷つき死んでしまうかもしれないのだ。だから、児童虐待に関しては、大人は必ず救う義務があるのだ。もっと言えば、自分の周囲の児童虐待を救うのは大人の義務とさえ言っていいだろう。でなければ、誰も児童虐待に気付かぬまま、子供たちがどんどん傷つけられて取り返しがつかなくなるだけだ。

そして、児童虐待する親を憎んだり責めたり問題を追及するよりも前に、まず、子供たちの安全を確保することが先決だ。まず、子供たちを保護すること。子供たちを危険から救出することが何より先に為されなければならない。他のことはそれから後でいい。とにかく、子供を親から引き離すこと。そして、施設でも里親でもいいから、子供を安全な場所へ移すことだ。親の問題を解決する前に、まず、子供を親から引き離して、安全を確保することだ。

今回の事件で亡くなった子供たちが部屋に放置されて死ぬまでにどのような苦しみや悲しみを味わったかを想像すると胸が張り裂ける思いだ。まだ、1歳と3歳で親を頼ることしかできない幼児であり、純粋に親への信頼しか抱かない幼子だ。そんな子供がどれほどの苦しみや悲しみを味わったことか。飢えと渇き、ゴミだらけの部屋で風呂にも入れず、糞や尿にまみれ、暑さや孤独で苦しめられ、苦しんで泣き叫び、泣き疲れて眠りにおち、目が覚めてもどんどん飢えと渇きで身体は衰弱して苦しみ、泣いて母を呼んでも助けには現れない恐怖と絶望。小さな子供たちの心は恐怖と苦痛と悲しみにどんなにズタズタに引き裂かれた押し潰されたことだろう。それでも、最期の最期まで母を頼ったのではないだろうか。そんな苦しみの中で迎えた死・・・。こんなむごい死は耐えられない。二度とこんな悲劇は起こしてはならない。社会に非が有る無しに関わらず、社会(周囲にいる大人たち)が助けなければ、誰も虐待されている子供たちを救う者はいないのだ。こんな悲劇は二度と見たくない。

「6. ディストピア」に書かれている内容は、半分冗談なのでしょうが、憲法に抵触する内容ばかりです。法案段階で法制局が止めるから憲法改正をしない限り実現可能性ゼロ。
床屋政談なのだから、別にそんなことは問題ではないのでしょうけど。

Gさん
その通りとは思いますが、「虐待されている子ども」を、「自殺しそうなおっさん」や「孤独死する老人」に変えても同じことなんですけどね。今持っているリソースで誰を、何を守るかっていうことですね。

母親の行動が

単に享楽を求めただけの「堕落」なのか

一人の人間として限界を超えた生活苦からの「逃避」なのか

そこを慎重に見極める必要はあるだろう。

例えば。一日の睡眠時間が3時間では、いくら母親とて3歳と2歳の二人の乳幼児に常に笑顔は向けられない。

てつさん

私の個人的な考えですが、大人と子供では違いがあります。それは大人と比べると子供は「まだ十分に生きていない」ということです。「十分に生きる」とは「いったいどのくらい生きれば十分生きた」と言えるかというと、およそ50歳まで生きられれば十分じゃないかと私は思っています。もちろん、高齢になってから大きな仕事をする人も中にはいます。例えば、伊能忠敬や葛飾北斎などは高齢になってからも活躍した人です。ですが、まあ、それらは例外であって、普通は体力のピークは20代、頭脳のピークは30代ではないでしょうか。それらを形ある成果として仕事を成し遂げるのにプラス20年として50歳まで生きられれば、まあ、完全とはいえなくとも、およそ「十分生きた」と言えるのではないでしょうか。(逆に完璧に成し遂げようと思えば、どんなにやっても満足できず、時間はいくらあっても足りないのではないでしょうか。結局、未完成でもどこかで満足しなければならないのではないでしょうか。)

生きた時間で「十分生きたかどうかを判定するのは正しいのか?」と疑問に思われるかもしれませんが、人間の人生は有限で限られていますから、与えられた有限の時間を有効に活用して満足する生き方をするしかないと思います。長生きすること自体が人生の目的ではないと思います。老後に人生の最大の楽しみを取っておくのは間違いではないでしょうか。例えば、70歳で死んでも80歳で死んでも、その人の人生にとってそんなに大きな差異は無いのではないでしょうか?健康で十分活力のある若い間に満足に生きることが大切なのではないでしょうか。そう考えると、子供と老人を比べたとき、老人はすでに十分に生きた、もしくは、十分に生きる時間(チャンス)を与えられて、老人もその時間を十分に使ったと言えると思います。それに比べて子供はまだ十分に生きていません。どちらか一方を助けるとすれば、同じ生命であっても、まだ十分に生きていない子供を優先すべきではないかと私は思います。

(余談ですが、例えば、20歳の若者の自殺と50歳の初老の自殺では、若者はまだ十分に人生を生きていないのでもったいないと思いますが、初老の場合は完全とは言えませんがある程度十分には生きたと言えると思いますので、そんなにもったいないとは思いません。また、高齢者の自殺、例えば、病気による苦痛から解放されるための自殺などは、決して悪い選択肢ではないと思います。むしろ、十分に生きたと思えない人生を送ってしまうことこそが悲しむべきことであって「十分に生きたと思えるので病気の苦痛から解放されるために自殺しても構わない」と考えられるのであればそれは充実した人生だったと言えるのではないでしょうか。長生きするのが生きる目的ではなく、自分が満足する何かを為すのが生きる目的だと思います。)

また、子供は大人と違って自分で助けを求める力は弱いです。自殺しそうな中年や孤独死する老人と比べて、子供は自力で助けを求める力が弱いです。大人と比べると子供は弱者といえると思います。だから、子供には保護者が必要なわけです。確かに自殺しそうな中年や孤独死する老人も弱者かもしれません。ですが、大人は自分がそうなる前に準備することができたはずです。それに比べて子供は未成熟なので最初から自分で助けを講じることはできません。もちろん、大人でも様々な要因で災難を避けられなかった人もいるとは思いますが、子供は一般に全員がそうであるのに対して、大人はそうなる前に様々な対策を講じる可能性はあったわけで、その中でも不運な人がフィルタリングされた結果だと思います。そういった意味でも子供を優先して助ける意義があると思います。(←うまく説明できていませんね。)

さて、私自身は今回の事件で児童虐待に対する考えを改めました。とにかく、児童虐待は虐待する親から子供を引き離して子供の安全を確保するのが最優先だと考えるようになりました。親の抱えている問題を緩和することや、たとえ虐待する親であっても子供を親から引き離すのは家族を壊すようでちょっと気が引けると思う面も以前はあったのですが、児童虐待の悲惨さを知るにつけて、たとえ虐待されている子供が嫌がっても子供を虐待する親から引き離して安全な場所で育てるべきだと考えるようになりました。児童虐待は虐待する親もかつて子供だった時に親から虐待を受けていたというケースが非常に多いです。それが自分が親になったときに、子供にも虐待してしまうという負の連鎖が続いてしまうようです。虐待する親を虐待しないように修正するよりも、子供を親から引き離して育てることで負の連鎖を断ち切ることが、言葉は悪いですが、確実で手っ取り早いと思います。親が虐待をすぐに止められれば良いのですが、不可能ではありませんが、なかなか難しいようです。冷たく無機質なやり方かもしれませが、子供を虐待する親から引き離すのが最善だと思います。

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